自由なライフスタイル

これからの未来への道

5年間分の記憶

21歳に就職して5年、

何をしていたのか?どんな想いがあったのか?

退職を機会に振り返ろうと思います。

 

そもそもこの道(会社)に進むこと

になったところから

話をしていくと

小学、中学の頃は将来のことなんて、

ちっとも考えていなかった。

 

高校に入った1年目の夏に友人から

名門大学を目指して勉強しようとノリで

言われたのが、将来のことを考えるきっかけとなった。

 

それからは勉強の日々、、、

通学中はは英単語を覚え、電車の中でも英文法を聴いて、学校へ行ったからも授業の勉強+次の内容の予習、部活もやらずに勉強ばかり。

そんなことを続けて1年が経ったとき、授業のレベルのままじゃ名門大学へ行けないのではないか??と不安になり、中退を希望。

先生に数学の今のテストで100点取らなければ、辞めさせないと止められ、断念。

 

それからはなぜこんなに勉強、大学に囚われているのか??自問自答することが多くなった。

 

大学とは何なのか?

名門大学に入ることで、年収の高い、安定した生活をおくれると思って臨んでいたが、それがしたいのだろうか??そのしたいことは何だろうか?

 

そんな疑問に駆られ、卒業して1年浪人することとなった。

 

浪人生活は毎日が苦のような感覚だった。

わからない問題と向き合い、点数で測られる。

 

何も面白くなかった。

勉強とはテストの点数を取ること。

そんな考えがあったのもあり、

詰まらなくなっていた。

浪人して受けた大学には受かったが、

希望していた大学には受からず、失望した。

 

なぜこんなに苦しんでいるのだろうか?

またおんなじことをして繰り返すなら

投げ出したほうが楽だと思った。

 

だが、投げ出す前に今まで育ててくれた

両親へ恩返しをしたいと思った。

 

自分に何ができるのか?

本気でやったら、どう楽しめるのか?

そんなことを考え、小さい頃から

自然と夢中になって描いていた絵を

思い出した。

 

誰に見られるわけでもなく、

ただ楽しいから描いていた。

 

どんな絵が描きたいのか??

そう思ったら、ゲームではないと思いつつ、

魅力的で、心惹かれるものは

空間ではないかと思い、入ることにした。

 

今までの忍耐力を全て絵の道、

空間デザインの道へ捧げることにした。

 

それから2年間、必死になって初心ながら

絵の勉強を無我夢中で死ぬ気で取り掛かった。

 

やればできる、もっと上手くなれる、

今できないならできるようにすればいい、

人の何倍も努力しようと思ったが、

1年経った辺りから彼女が出来、

流れが変わった。

 

それから就職活動で、自分には才能がない

仕事なんて何も出来ないとかいろんな

思いを募らせながら、

就職したのが、家を作る会社だった。

 

入った当初は、コミュニケーション能力を高めたいと思い、営業を2年間やったが、結果は出ず、廃人のように生きていた。

3年目から設計、広報と移動して広報は楽しむことができた。

 

 

 

僕は勉強が全くできず、本を読むのも苦手だった。唯一、理解できたのが化学くらいだった